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岐阜家庭裁判所 昭和50年(少イ)1号 決定

被告人 K・Y子(昭一〇・一一・二〇生)

主文

被告人を罰金八、〇〇〇円に処する。

右罰金を完納することができないときは金一、〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、K・S(昭和四二年一二月一二日生)の親権者であるが、同人が昭和四八年一二月一二日満六歳に達し、その翌日以後における最初の学年の初である昭和四九年四月から同人を小学校に就学させる法律上の義務があり、岐阜市教育委員会から同人の就学すべき小学校を岐阜市立○○小学校に指定され、同年四月から翌五〇年七月までの間数回にわたり同小学校長を通じ同校に就学させるよう督促されたにもかかわらず、昭和四九年四月八日から同五〇年七月一九日までの間、一日もK・Sを小学校に登校させず、もつて保護者の就学させる義務を履行しなかつたものである。

(証拠の標目)(編略)

(法令の適用)

学校教育法二二条一項九一条、罰金等臨時措置法四条、刑法一八条、刑事訴訟法一八一条一項

(裁判官 海老澤美廣)

参考一

冒頭陳述書

K・Y子

学校教育法違反

右の者に対する頭書被告事件につき、検察官が証拠により証明すべき事実は左記のとおりである。

昭和五一年一月二二日

岐阜地方検察庁

検察官検事 匹田信幸

岐阜家庭裁判所 殿

第一被告人の経歴等

被告人は、静岡県小笠郡○○町に生まれ、同所の○○中学校を卒業後、家業である農業の手伝いをしており、昭和三三年四月ころ、亡夫K・Oと結婚し、名古屋市内に居住するに至り、昭和三八年ころ、岐阜市内に居を移した。

昭和三五年四月には長女K・S子を、昭和四二年一二月一二日には長男K・Sをもうけた。この他に次男次女をもうけたが、次女は実妹の養女にやり、次男は実妹方に預かつてもらつている。

第二犯行に至る経過およびその状況

亡夫武夫は生前、タクシーの運転手をしていたが、ギャンブル好きで、生活が苦しく昭和四九年当時は、高利貸しから借金をするに至つていた。

被告人は、長男K・Sの保護者として昭和四八年一二月二一日には新入学児童の健康診断のため、翌四九年二月二〇日には一日入学のため、それぞれ岐阜市立○○小学校から通知を受けたが、いずれにもK・Sを出席させなかつた。

被告人は、長男K・Sが満六歳に達した日の翌日以後における最初の二学年の初である昭和四九年四月にはK・Sを○○小学校に就学させなければならないことは知つていたが、生活が苦しく、ランドセルすら買つてやれない状態であつたことから、昭和四九年四月八日の入学式にも出席させず、それ以後、前住居地である○○荘七号室にK・Sをとじこめ、昭和五〇年七月一九日まで、まつたく通学させなかつた。

この間の昭和四九年八月一三日、夫K・Oが自殺し、被告人は○○タクシー株式会社の団体保険から一〇〇万円の交付を受け、同年一一月、翌五〇年二月、同五月、同八月の四回に分け合計二七七、四二〇円の遺族年金の支給を受けているにもかかわらず、K・Sを就学させようとはしなかつた。一方、被告人は、岐阜市教育委員会の意を受けた、○○小学校長○野○の訪問を昭和四九年四月からほぼ毎月のごとく受け、就学義務の履行の督促を受けたが、その都度、K・Sが病気であるとか、転居するとか、生活が苦しく通学させる金がないとか弁明していた。

第三情状関係

被告人は、夫が死亡してから、子供二人を家に残し、外泊するようになり、昭和五〇年八月には外泊を四日位続けるようになつて、まつたく子供をかえりみず、かえつて長女K・S子に新聞配達をさせ、そのアルバイト代を前借りするようになつた。そんなことからK・S子が家出をしたいと担任の教師に申し出て、本件が発覚し、K・S子、K・Sの二人は○○郡にある養護施設○○学園に昭和五〇年八月二九日に収容され、同所から元気に通学している。

その他情状関係

参考二

弁護人の意見

事実関係については被告人も認めており争いはありません。

矢張り本件の主たる原因は被告人の家庭の貧困、被告人のずぼら性によるものであります。

しかし現在被告人も充分反省しており子供も養護施設に預けられ元気にやつており、被告人も近い将来子供と共に明るい家庭生活を築くべく一生懸命働いております。以上の諸点を考慮していただき寛大なる処分を御願いいたします。

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